nina1988の日記

東京に暮らすワーママが日々のことを綴る日記。主に美術館に行ったことなどの感想を綴ります。

ARTIZON美術館に行ってきた -はじまりから、いま。‐

先日、ARTIZON美術館へ行ってきた。ここは、旧ブリヂストン美術館が5年の休館期間を経て、2020年1月にリニューアルオープンした美術館だ。最初に5年休館すると聞いた時は、5年も絵を見に行けないなんて、、長すぎる、、と思っていたはずなのだが、気付けばあっと言う間に5年が経っていた。時の流れが早すぎて怖い。

 

www.artizon.museum

 

 

ARTIZON美術館になってから、既に何回も足を運んでいるのだが、今回はARTIZON美術館の軌跡を、ブリヂストン美術館の頃から遡り振り返る展示ということで、ブリヂストン美術館の頃から、この美術館の大ファンであった私は、迷わず行く事を決めた。

 

絵の展示については、この美術館を代表するレギュラーメンバーが惜しげもなく展示されていて、もう大満足の内容だったのだが、私が一番興味深かったのは、これまでの企画展のポスターが(たぶんほぼ)全て、壁一面に展示されていた最初のパートである。

 

一番最初の企画展は、1952年1月11日から。企画のタイトルはなく、ポスターにはピカソの《女の顔》が全面に印刷されている。

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この頃の日本は、まだ戦後の混乱や傷跡が色濃く残る中、朝鮮戦争の影響を受け経済が上向いてきた時期。鬼畜米英から一転、西欧文明への尊敬のまなざしを取り戻しながら、文化を享受する余裕が、少しずつ生まれてきた時代なのだろうなと想像した。

この絵はもちろん現在もARTIZON美術館が所蔵しており、本展で実物を鑑賞することができる。1952年から2022年まで、色褪せることない絵画の普遍的な美しさには、溜息が出る。一体、どれほどの人々が、この絵に癒されてきたのだろうか。

 

このポスター展示で面白かったのは、企画展というものは、手を変え品を変え、結局同じような内容の企画を10年に1回くらいのサイクルで回しているのだな、ということに気付かされた点だ。(批判しているわけではない)とりわけARTIZON美術館は、所蔵作品を組み合わせて企画展を構成するのだから、同じような企画展になるのは致し方ないことなのだろう。このポスター展示を通じて、歴代のキュレーターやプロデューサーたちの苦労や努力を感じた。他の絵画はいつ行っても鑑賞することができるが(失礼な言い方。笑 いつでも会える安心感ということです)、このポスター群は、本展オリジナルの展示であると思うので、このためだけに足を運んでもいいくらい、一見の価値があると思った。

 

また、今回の企画展で、私は、「なぜ青木繁の作品はARTIZON美術館に沢山あるのか?」と、漠然と抱いていた疑問の答えを得ることが出来た。まだブリヂストン美術館だった頃、《海の幸》を始めて生で見て、「こ、これは美術や日本史の資料集に出ているようなレベルの超有名作品ではないか!?なぜここに!?(失礼)」と思ったからである。

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本展示の解説によれば、青木繁坂本繁二郎が久留米の同郷の仲で、坂本は、早くに亡くなった青木の作品が国内で散り散りになっていることを嘆いていた。そこで、小学校の美術教員時代の教え子で、タイヤ事業で成功しつつあった石橋正二郎ブリヂストン美術館創設者)に、青木の作品を収集し、美術館を設立するよう勧めた、ということであった。

なんと、「ブリヂストン美術館に青木の作品がなぜか沢山ある」のではなく、「青木の作品を収集する過程でブリヂストン美術館の設立へ繋がった」ということだったのである。この美術館の大ファンだと自分のことを認識していた私は恥ずかしくなった。こんな重要な設立エピソードを知らなかったなんて…と。(今回深く学びました)

 

そういう背景から、青木繁は、ARTIZON美術館の代表アーティストと言っても差し支えないほどの中心人物だ。実際に、2021年のに企画された、ARTIZON美術館の所蔵作品と現代アーティストがコラボする「JAMセッション」という企画では、青木繁の《海の幸》の登場人物に森村泰昌が扮するという作品も制作された。(この企画展の作品の一部も、本展で鑑賞することが出来るので、ぜひ。)

 

私は、この「JAMセッション」という企画こそが、ブリヂストン美術館がARTIZON美術館へ進化した理由なのだろうな、と、足を運ぶたびに思う。以前のブリヂストン美術館は、確かに素晴らしい美術館であったが、内装は欧米の邸宅のようで、印象派の絵が飾られるための空間、という雰囲気が色濃かった(確か)。一方、ARTIZON美術館は、良い意味でどんな作品もマッチする、都会の洗練された無機質さが漂っている。古代の彫刻、印象派からキュビズムアンフォルメル現代アートまで、何でも受け止めようとする懐の深さを感じるのだ。もちろん、JAMセッションで生み出される最新のアート作品も。

 

次回のJAMセッションがとても楽しみだ。

(その前にこの展示のポスター群を見に、また行ってしまうかも…)

 

また、超余談だが、学生が無料で鑑賞出来る点も、私立美術館の創設者の懐の深さを感じられるので、私は大好きです。以上。

 

 

 

美術館の楽しみ方 -絵を楽しむために知識はいらない-

美術館の楽しみ方について。私は美術館が大好きで、それは色んな意味でなのだが、建築も好きだし、作品も好きだし、そのアーティストが生きた時代のことを知ることも好きだし、とにかく包括的に美術館が大好きである。好きすぎて、大学では美術史を専攻した。そして、より一層美術全般に関することを好きになったのだが、一般的には、「美術なんて崇高なものは自分には関係ない」とか、「理解できないだろうから興味がない」とか、「どう見たらいいのか分からない」等という理由から、あまりポピュラーな興味関心事として挙がってこないような気がする。それどころか、アート好きであることをうっかり公言すると、「おしゃれっぽく振舞ってるだけ」「知的ぶってるだけ」「何がいいのか分からない」などと罵詈雑言を浴びせられ、袋叩きにされることすらある。(ほんとに)

 

確かに、大学時代には、アリストテレスの美の概念や、カントの美の解釈を、美学の授業で習って、分かったような気になり、尊大な態度を取っていたのかもしれない。(今思うとイタイような)それで袋叩きにされいたのかもしれない。もしそうだったらごめんなさい。しかし、そんな私ですら、美学の哲学的な部分は、今ではあんまり覚えていない。(勉強しなおしたいくらいだ)それでも、美術館にいくのはやめられない。それはやっぱり、「絵が好きだから」という根源的な部分にmotivateされているんだと思う。

 

「絵が好き」というシンプルな気持ちは、登山を好きな人が山を好きなように、ダイビングを好きな人が海を好きなように、本質的に私に備わっている感覚なのだと思う。だから、虹をみて「綺麗だな」と思う感覚と同じくらいシンプルに、絵をみて「綺麗だな」と思う人が増えたらいいなと思う。難しい理論や美学や歴史の知識などは一旦置いておいて。

 

難しい事を考えずに絵を見るために、これだけは知っておくといいと思う事がある。それは、美術館には、2種類あるということである。それは「所蔵作品がない美術館」と「所蔵作品を持つ美術館」の2種類である。

「所蔵作品がない美術館」とは、文字通り、所蔵作品を持たない美術館のことである。森美術館国立新美術館(両方六本木にあります)がこれにあたる。作品を持っていないので、だいたい企画展が開催されており、そのテーマに沿った作品を国内外や世界中からレンタルで集めてきて、その美術館に展示する、いわば「箱」としての機能である。こういう美術館のいい点は、いつ行っても何らかの企画展が開催されており、新しい作品に沢山出会えることである。

一方、「所蔵作品を持つ美術館」というのは、文字通り、美術館が作品を所蔵しているということである。その作品の持ち主は美術館ということになり、作品は美術館に所属していることになる。こういった美術館は、所蔵作品に加えて、国内外の美術館からレンタルした作品を加えて企画展を行ったり、所蔵作品のみで展示を構成する常設展を行うこともある。東京駅のARTIZON美術館(旧ブリヂストン美術館)や、横浜美術館東京国立近代美術館金沢21世紀美術館などがこれにあたる。

 

それで。なぜ私がこのような分類をしたか、というと、「ちょっと興味はあるけれど、絵の見方がよく分からない」という人は、後者の「所蔵作品を持つ美術館」に、何回か通ってみてもらいたいからである。そうすると、「行くと必ずある絵」というのがある。その美術館の顔といってもいい作品は、だいたいの場合は常に展示されている。その絵を何回か見ているうちに、中に描かれている人々に対して、「あ、こんにちは、また会いましたね」とか、「前に見た時よりこの女の子は悲しそうな顔をしているように見える」とか、色々自分の内面に湧き上がってくる感情の変化を楽しんだりできるのである。この楽しみ方は、自分の感じ方次第なので、美学とか理論とか難しい話は関係ない。自分がどう思うか、ということにフォーカスしてほしい。

 

例えば私は、ARTIZON美術館にある、ルノワールの『すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢』という絵が好きなのだが、

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初めて見た時(大学生のときにブリヂストン美術館に初めて行った時)は、「わ、長い名前の女の子だなあ」くらいにしか思わなかった。しかし、二回目見た時に、「あ、あの子だ」と、だんだんとその存在を意識するようになり、それ以降は、ブリヂストン美術館に行くたびにまじまじと眺めるようになってしまい、「おちびなのに大人の椅子に座っててかわいいな」とか、「床の装飾が綺麗だなあ、カーペットかな」とか、「おしゃれしちゃってどこに行くのかな」などと、もうジョルジェットちゃんのことで頭が一杯になるくらい、想像力を働かせ、可愛くて好きだなあと思うようになってしまったのである。

ブリヂストン美術館は、リニューアルのため、5年ほど休館期間を経て、ARTIZON美術館へと生まれ変わった。リニューアル後、久しぶりにジョルジェットちゃんと再会する頃、私は出産を経て母になっていた。すると、この絵の見方も全く変わってしまっていたのである。「ジョルジェットちゃんって4歳だったのか。大人びてるなあ。まだ息子の方が小さいけど、息子とは大違いだ」とか、「脚が寒そうだけどこれが描かれたのは夏なんだろうか。タイツ履いた方が良くない?」など、完全にジョルジェットちゃんを娘として見ている自分に心底驚いたのだ。(うちにいるのは息子だが)

 

こういう絵の楽しみ方が出来るのが、「所蔵作品を持つ美術館」の醍醐味であると私は思う。勿論、森美術館も新美術館も素晴らしい美術館で、私は何度も何度も足を運んでいる。森美術館なんて地上54階くらい?にあって、晴れた日の夕方に行けば、東京の地平線に沈む夕日と美しい夜景を楽しむことができるし、鑑賞のあとはすぐ飲みに行ったりと、デートしたりするのに最高の立地であるし、絵を楽しむだけじゃないエンタメが盛り沢山である。しかし、自分の内面と向き合う装置として、「所蔵作品を持つ美術館」に所蔵されている作品の中からお気に入りを見つけ、足繁く通ってみる、という鑑賞の仕方を、私はおすすめしたい。

 

次はどの美術館に行こうかな~

東京都庭園美術館に行ってきた

先日、東京都庭園美術館へ行ってきた。

www.teien-art-museum.ne.jp

 

初めて行く美術館で、存在は知っていたのだが、なかなか行く機会を得られずにいた。そんな折、ブラタモリ~白金編~で、この美術館が紹介されていて、興味を持ち、足を運んでみることにした。

www.nhk.jp

 

この庭園美術家に採用されている建物は、旧朝香宮家の邸宅で、朝香宮家とは、現在の明仁上皇の大叔父さん(お母さん方のお爺さんの兄弟?多分)が創立した宮家。

建築は、アール・デコ様式。アール・デコ様式とは、アール・ヌーヴォー様式(WWⅠ前のパリで花開いた文化で、植物の曲線をモチーフにした華やかな様式)の次に新大陸で発展した様式のことで、主にニューヨークのロックフェラーセンターエンパイアステートビルで採用されている。定規で引いたような直線と、コンパスで描いたような円のモチーフを繰り返す、幾何学模様の連続が特徴とされる。

 

WW1後、世界の中心が欧州からアメリカへ移ったことが象徴されるような、様式の変遷。実際に建物の中に足を入れてみると、その当時最先端であったアール・デコ様式のモダンさと、日本建築の静謐さを融合させたような、静かな豊かさが満ちていた。落ち着いて写真を撮ることが出来なかったので、詳細は割愛。

 

戦後に朝香宮家が皇籍を離脱する際に(皇族はGHQの改革で免税特権を廃止され、豪華な邸宅を維持できなくなった)、この邸宅は手放されることになったのだが、それを、なんとあの吉田茂が首相公邸として使用することにした。その後、紆余曲折を経て東京都が買い取り、美術館として1983年にオープンしたという歴史を持つ。

 

このように、仮に美術展の展示内容が全く充実していなくても(そんなことはない)、その建物を見るだけで相当な価値がある美術館となっているので、散歩のついでなどでフラッと行ってみてほしい。ちなみに、隣には国立科学博物館附属の自然園があり、白金という大都会の中心にありながら、豊かな自然を感じることが出来るスポットとなっている。(この豊かな自然が、白金が高級住宅地でありえる所以でもある、とブラタモリタモリさんが言っていた)

 

さて、肝心の展示内容について。

 

奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム

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展示内容は、シュルレアリスムがファッションにどのような影響を与えたか、というような展示だった(はず)なのだが、正直、ゆっくり見ることができなかった。なぜなら、3歳の息子と行ったからである。(じゃあなぜレビューするのかという疑問は置いておきます)

 

まず象徴的だなと思ったことは、シュルレアリスムは、戦間期のヨーロッパで生まれた流派だが、シュルレアリストアンドレ・ブルトンやエルンスト、ダリなど)たちは、WWⅡの戦禍を逃れ、ニューヨークへ亡命していることである。そんな彼らの展示が、アール・デコ様式の庭園美術館で行われるということは、何か時代の大きなうねりを一挙に引き受けたような、建物と展示物の奇妙なマッチングが生み出されているように感じた。実際に、直線的で無機質だけれども静かな豪華さが漂う部屋で見るダリの彫刻や、マグリットのだまし絵などは、「私はこの美術館に所属する調度品ですよ」と作品が言っているように思えるほどだ。

 

いわゆる美術作品は多くなく、その影響を受けた「ファッション」の展示なのだが、その関係性は(何度も言うが息子と行ったので)上手く理解できなかった。もう一回、一人で行って見直したい。果たして行けるだろうか。

 

最後に、子どもと美術館にいくということについて。庭園美術館には、子どもを温かく見守ってくださるスタッフさんが沢山いらっしゃった。「よく来たね~」「かっこいい絵だよね~」などと話しかけてくれる方もいらっしゃって、子どもがちょっと大きな声を出してしまったとしても、ピリピリせずに鑑賞することが出来るとても良い美術館だと思った。入口を入ってすぐの部屋にはウォーターサーバーが設置された談話室のようなものがあり、座ってゆっくりしたり、無料の塗り絵で遊んだり出来るようになっており、ますます子供向き。シュルレアリスムというジャンルに関しても、子どもと「面白い絵だね」「なんでこの人溶けちゃってるの?」などと素朴な疑問を話しながら鑑賞できたので、子ども×シュルレアリスムは、案外相性がいいのかもしれない。大人も、「この絵は何の象徴なんだろう?何のメタファーなんだろう?」なんて難しいことを考えずに、「変な絵だね、あはは」なんて言いながら、身構えずに鑑賞できるからだ。

 

私の朧気な記憶によれば、マン・レイの絵や、キリコの絵もあり、1000円ちょっと払うだけでこんな豪華なラインナップに出会わせていただき誠にありがとうございます~と大変ありがたい気持ちになることが出来る展覧会でした。

 

もう一回(一人で)行きたいな~、なんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ちょっと時間が出来たので、ブログを始めてみようとおもいます。じつはこれが初めてではなくて、アカウントを作っては書かなくなり、いつしかログインの仕方も忘れ…と、複数のブログのお墓を持っています。今回はそうならないように、日々のことを忘れないよう書き留めておきたいと思います。

 

私は昔から宇多田ヒカルの大ファンなのだが、彼女が最近また精力的に活動していることから大変元気を貰っている。彼女の生きる力に応援されて、私も何かを残してみようと思ったのでした。

 

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