nina1988の日記

東京に暮らすワーママが日々のことを綴る日記。主に美術館に行ったことなどの感想を綴ります。

川村記念美術館に行ってきた

先日、川村記念美術館に3歳の息子と行ってきた。この美術館は、大日本インキ化学工業の創設家の2代目の方が設立された美術館で、千葉の佐倉市にある。佐倉市は、他にも科学品メーカーの工場がいくつかある街で、里山と工場がゆるやかに交じり合う地域。日本の地方都市の代表的な風景の中に突如現れる美術館だ。東京駅の八重洲口から直行バスが出ており、片道1時間で着く。天気が良いけど特に予定がなく、休日っぽいことをお手軽にしたい時に、フラッとバスに乗って日帰りで行くことが出来る最高のスポットだ。

 

前回記事にした大塚国際美術館といい、わたしが大好きなARTIZON美術館といい、この川村記念美術館といい、わたしはこの、「企業の創業家の一人が美術愛好家で、有り余るパトロン力で美術館を作っちゃった」系の美術館が大好きだ。企業経営は利益を出すためのみならず、社会をより良くするための営み、社会貢献の一環であり、得たものを還元したいという心意気や、それを美術館というやり方で行う経営方針が、とてもおしゃれだな~と思うのである。勿論、節税対策的な意味合いもあるんでしょうが。

 

私は、気軽に都内から日帰りでshort tripでき、美術館で美しい作品を鑑賞しながら、レストランで美味しいお食事がいただける場所として、この千葉県の川村記念美術館と、静岡県クレマチスの丘が大好きだったのだが、こんな素敵な場所、一体誰が作って管理運営してるわけ!?と気になり調べると、なんとクレマチスの丘の経営母体はスルガ銀行で、あの不正融資で話題になった企業であることを最近知った。経営理念が明るく、社会に貢献したい気持ちが美術館となって表出する場合と、経営陣の私利私欲が背景にある場合があるんだなということを、この一件で考えてしまいまして。。やっぱり理念が尊敬できる企業が運営している美術館の方が、個人的には好きだ。(不正融資の話題以降、クレマチスの丘へは足が遠のいてしまっている…。駿河湾が一望できるとっても素敵な場所なんだけどね)

 

話が逸れたので、川村美術館に戻る。

kawamura-museum.dic.co.jp

 

現在の展示は、Color Field 色の海を泳ぐ展。

一階は、所蔵作品を色別に分けた展示、二階は、川村記念美術館が所蔵する大型作品と、カナダのオードリー&デイヴィッド・マーヴィッシュ夫妻が所蔵する抽象絵画がミックスで展示されていた。

以下、感想をいくつかの視点に分けて考えてみたい。

 

(1)美術館に子どもと行くということのスリル

川村記念美術館は広い庭があり、散策やピクニックが出来るし、抽象絵画は知識がなくても直観でキレイと思えるし、子どもと行くにはとてもいい美術館だと思う。しかし、鑑賞者に寄り添いすぎてくれているためなのか?作品周辺に立ち入り禁止のロープや囲いがなく「これ以上は近づかないでね」のテープが床に遠慮がちに貼られているだけである。これは「大人の」鑑賞者には非常にありがたい。しかし、今回私は3歳の「子ども」(息子)と行ったため、個人的に非常にスリリングな鑑賞となった。というのも、「このロスコルームで息子が急に何の予兆もなく発狂し、絵に追突した場合、私は償えるか?いや、絶対無理、保険入ってるかな、この絵」とか、「このブランクーシの彫刻、ボールみたいとか言って触ったりしないよね」とか、とにかく「息子が急に予想だにしない動きをして作品を傷つけないか」という不安と邪念が付きまといまくった。なので、終始必ず手をつなぐか、息子の身体の一部を掴みながらの鑑賞となったのであった。うん、楽しかったけど、もう一回一人で行きたい(本音)。監視の方も、息子が部屋に入ってくると、それまでゆるりと座っていたのが、背筋を伸ばしたり、立ち上がったり、いつでも息子を静止でき臨戦態勢に入られる雰囲気が、ひしひしと伝わってきた。ご心配おかけしてすみませんでした…。

とは言いつつ、今回の作品リストは、絵を縮小したものが一緒に印刷されていて、息子はそれを「地図」と呼び、実際の作品を見ながら、「あ、この地図とこの絵が同じだ!」とか、ポロックの絵をみて「ぐちゃぐちゃでかっこいいねぇ」とか、様々な絵画を目の前に、3歳の感性で楽しんでいたように見えた。そんな純粋な感性を持つ息子と一緒に鑑賞できて、母はとても楽しかったよ。ありがとう、息子。

 

(2)「あの絵」の不在が際立つ展示

Color Fieldというタイトルと、川村記念美術館というキーワードを二つ聞いて、私の頭にまず浮かんだのは、バーネット・ニューマンの《アンナの光》だった。ニューマンは戦後ニューヨークで活躍した抽象表現の代表的な作家で、しかもその晩年の大作《アンナの光》は、数年前まで、この川村記念美術館が所蔵していたのだ。今はトゥオンブリールームと呼ばれる、屋外の緑と光が差し込むその部屋は、昔は「ニューマンルーム」と呼ばれ、《アンナの光》は、そこにあった。

私は、10年前くらいに足繁く川村記念美術館に通っていた。なぜなら、美術史学科での卒論をニューマンをテーマに書いていたから。同じく、ジョセフ・コーネルで卒論を書いていた友人と一緒に(川村記念美術館が多数所蔵)、バスに乗って何度も通ったのである。だから、良く覚えている。《アンナの光》の前に立つと、絵画にも関わらず筆致が一切ない、影も光もない「赤」が眼前の視界を全て埋め尽くし、その「赤」自身が発光し、輝いていたことを。《アンナの光》まさしく、絵が発光している。「赤」が光を放っている。そう感じたのである。

だから、今回のColor Fieldという企画展のタイトルを見た時、「お、《アンナの光》を買い戻してくれたのか!?」と、勝手に期待し、勝手に勘違いしたのである。

ああ、また見たい、《アンナの光》。買った人、早く公開してください…世界中どこでも見に行きます。

 

(3)実際に作品をみることの大切さ

川村記念美術館の凄いところは、①所蔵作品が大きく、②その大型の作品をゆとりある空間で思う存分楽しめること、だと思う。私が所属していたゼミの教授は、とにかく現代アートは足を運んでみて実際に見るのが大切、ということを仰っていた。その意味がよく分かるのが、この川村記念美術館だと思う。一面同じ色の作品でも、どうやって塗ったんだろう?と考えるし、絵具を垂らして吹き付けたような絵は、その凹凸の激しさに驚かされるし、美しいグラデーションには、縮小された印刷物よりも何百倍も心を動かされる。大型になることで、作品というよりも、もはや自然を崇拝し愉しむような感覚になるのだ(私だけかな)。今回、特に実際に見ることが出来て良かったと思ったのは、ジュールズ・オリツキーの作品と、ラリー・プーンズの作品だ。もう、実際に行って見てみてくださいとしか言いようのない感動が、そこにはある(と思う)。

 

はあ、たぶん叶わないけど、もう一回一人で(もしくは大人の友人と)、ゆっくり行きたいな!(二回目の本音)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在開催されている企画展は、これ。

kawamura-museum.dic.co.jp

 

 

 

 

大塚国際美術館に行ってきた

先日、大塚国際美術館へ行ってきた。友人と関西方面へ旅行を計画し、そのメインイベントがこの大塚国際美術館だった。今回、息子を家族に託し私が完全フリーで遊びに出かけるという産後初の試み。本当に心の底からリフレッシュできた。

 

まず、道中の新幹線で大塚国際美術館についてググる(そこまでバタバタで旅行の下準備や事前学習は全くしていない)。大塚家が設立した美術館ときき、まず私が頭に思い描いたのは、大塚家具の、あのお家騒動だった。ああ、あの一家、美術館も持ってるのか。色々持ち物があると親族でもめるのは世の常か~なんて思いながらよくよくサイトを見ると、大塚製薬の大塚グループだった。

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大塚製薬って、あ、ポカリとカロリーメイトの会社か。国民の生活に深く根差して日常に寄り添う製品を世に送り出すってすごいことだよな~などと考えている間に、大塚美術館に到着(友人が運転してくれていたので、私は助手席でぼーっとしてました)。

 

この美術館は、世界中の名画を陶板に原寸大で焼いて、それらを展示している美術館で、その規模がとにかくすごい。一番の見どころはシスティナ礼拝堂の復元で、壁一面、ミケランジェロの作品を模した陶板で埋め尽くされており、まさに圧巻としか言いようがない。私は本物のシスティナ礼拝堂には行ったことがないのだけれど、絵が視界を埋め尽くす様、そこに表現される聖書の物語を目の当たりにし、当時の人々がそこで信仰心を篤くしたであろうことを思った。本物ではなくても、本物と同じような体験をさせてもらった。本当にまるでイタリアにいるような気分になれた。

 

全部を観るのには3-4時間かかった。サクサク見進めて3-4時間だったので、じっくり眺めたい人は、丸一日かかると思う。

 

ここで、私が考えた大塚国際美術館の楽しみ方について、まとめてみたい。

 

(1)美術史を感じる

この美術館には、西洋近代の名画は勿論なのだが、古代の作品を模したものも、とても多い。ローマ帝国の遺跡の復元とか、ビザンツ帝国の教会の復元とか、「モネ!セザンヌルノワール!」みたいな、分かりやすく日本人が好きな作品と、これらの古代の作品が同列で展示されていることに、大変好感を持った。きっとこの美術館を作った大塚家のみなさんと、どの作品を制作するか選定にあたった方々が、そのへんのバランスをものすごく熟考されたのではないかと察した。分かりやすく人気取りをしたければ、この作品を選ばないよな~というラインナップが、古代から中世の作品群に多く感じられた。

個人的に気に入ったのは、ビザンツ様式の作品がたくさんあったこと。ユスティニアヌス帝のモザイク画には、とりわけ興奮してしまった。世界史の資料集でよく目にしていたからね。ビザンツ様式の作品は、教会の壁画であることが多く、つまり持ち運べないから、その場に行かないと見ることが出来ない。そういう教会は、だいたいアクセスが悪かったり、一般的な観光都市ではない街に建てられたりしていて、日本からわざわざ見に行くのは、限られた時間や予算では、本当に大変!先に述べたユスティニアヌス帝のモザイク画は、イタリアのラヴェンナにあるサン=ヴィターレ聖堂にあるのだけれど、行きかたを調べると、ミラノから電車で2時間半ほど。成田から静岡県に行くくらいの感覚?とにかく、日本からはめちゃ遠い。こういう日本から見に行こうとすると非常にアクセスの悪い美術作品が、一気に見られるということは、本物ではないことを考慮しても、ものすごく大きい価値だと思う。

古代~中世~近代の作風の変化を楽しみながら、美術史を深く学べる設計になっていて、ただのエンタメ施設ではなく、教育文化施設としての責任を全うしようとする姿勢に、大変感銘を受けたのでした。

 

ユスティニアヌス帝のモザイク画

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妻のテオドラ

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ウラディミルの聖母子像。

モスクワにある。これは見に行きにくくなってしまいましたね…。かなしい。

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(2)気に入った作品を、実際に見に行くという楽しみ方

o-museum.or.jp

この美術館ストーリーに書いてあるのだけれど、

 

「これをよく見ていただいて、実際には大学生の時に此処の絵を鑑賞していただいて、将来新婚旅行先の海外で実物の絵を見ていただければ我々は幸いと思っております。」

 

なんという心意気。サービス精神。というか三方よしの精神。学生旅行で徳島県にお金を落としてもらいつつ思い出を作ってもらい、本物をみるモチベーションを醸成し、いざ本物を見に行く時、その国にもお金を落とすという。みんながハッピーになる仕組み。大企業のパトロンが社会貢献をしようとすると、とんでもない域まで到達できるんだな、、という圧倒的パトロン力を見せつけられました。大塚製薬が大好きになりました!

 

(3)知っている作品にまた会えたねという気持ちになれる

大塚国際美術館の作品は、全て本物がどこにあるかがきちんと記載されている。「あれ?この絵、どこかで見た気がするな~、あ、プラド美術館か、やっぱりね、見てるわ、これ」「こっちは上野のフェルメール展に来てたやつだ。本物は上野で見てるわ」という気持ちになれる絵が沢山あった。その時に本物を見た時の自分を思い出し、あの時はこんなことで悩んでたな、とか、あの旅行、ほんとに楽しかったな、とか、その絵を見た時の自分を振り返る内省的な時間をゆったりと持つことができて、本当に有意義だった。(友人とはつかず離れずの距離感でお互いあまり干渉することなく絵を愉しんでいたので、自分を振り返る時間が持てた。こういう距離感や感覚が合う友人は本当に貴重だし大切)

 

(4)大自然

鳴門海峡のほとりに建てられたこの美術館に足を運ぼうとすると、自然を感じないわけにはいかない。穏やかな凪の瀬戸内海、温かく優しく降り注ぐ日差。あれ、ここって地中海なんじゃ…?と錯覚。心の底から、非日常感というか、海外旅行感というか、わたし!いま!リフレッシュしてる!!!を感じた。都会でPCやタブレットや複数のモニターに囲まれてあれやこれやと仕事をしている人は、全部オフにして行ってみてほしい。ほんとうにリフレッシュできるから。

翌日には、ちゃっかり渦潮船にも乗り、海の、自然の大きな力を感じてきた。この強いうねりが、美味しい魚やワカメを育むのね…。と。

 

 

というわけで、初めてきちんと観光した徳島県、大好きになりました。時間や予算に余裕がある方は、船に乗って小豆島や直島と併せて観光し、瀬戸内の魅力と現代アートを存分に感じる旅を計画することも出来ると思います。ぜひまた行きたいです。

上野リチ展に行ってきた

先日、上野リチ展に行ってきた。三菱一号館美術館の企画展で、私はこの美術館が大大大好きなので、勇んで足を運んできた。

 

 

mimt.jp

 

上野リチ展について書く前に、なぜ三菱一号館美術館が好きか。それはもう、理由は一つ(一つじゃないけど)。

 

それは、

おしゃれだから!!!!!(どーん)

 

丸の内という立地、赤煉瓦の商業施設BRICSQUAREの一角に佇む美術館で、日本の金融業界を背負って働く人々の憩いの場…。まず背景がかっこいいし、所蔵作品もおしゃれ。ロートレック、ルドンなど、この赤煉瓦の建物のモチーフとなった「三菱一号館」が建設された1894年ごろに活躍していた作家の作品を多く収蔵する。企画展も、19世紀後半から20世紀に活躍した作家やデザイナーのものが多いのが特徴だ。

1894年といえば、日清戦争の前年。日本の富国強兵を背負った三菱の権力がどんどん大きくなっていった時代なのだろう。そんな歴史も感じられる美術館だ。(あくまで建物は復元だが)

常設展で必ずと言っていいほど見られる、ルドンの《グラン・ブーケ》は必見である。

 

さて、上野リチ展に話を戻す。

まず、恥ずかしながら、上野リチさんという方を、私はこの展覧会に行くまで存じ上げげなかった。自分の無知が恥ずかしい…。そして、名前の印象から、勝手にレオナール藤田的な人だと思い込んでいた(日本人で欧州に渡り国籍を取得した、もしくは日本人とのハーフ、みたいな)。そしたら、なんと竹鶴リタさん的な方だった(外国の女性が日本人男性と結婚して、苗字だけ日本風になった)。竹鶴リタさんとは、朝ドラのマッサンのモデルになった方。まだまだ、世の中は知らないことだらけだ…

 

ウィーンの工芸学校出身で、日本人の建築家と出会い、結婚して、京都とウィーンを行き来しながら、布や日用品のデザインをされていたそうで、そのデザインが、何とも可愛らしいものばかり。ウィリアム・モリスっぽくもあり、リバティっぽくもあり、マリメッコっぽくもあり、でもどれとも違う。実際に、唯一無二の独自性を追求していたそうで、その作風を「ファンタジー」と呼んでいたと。本当に、約100年前のデザイン?と思うような斬新さと愛らしさと自然美が融合した作品を沢山見ることができて、大大大満足だった。

写真撮影NGだったので、写真はないが、《花鳥図屏風》という作品が、個人的に一番好きだった。金箔の屏風絵なのだが、そこに描かれているのは日本画風の絵柄ではなく、幾何学模様の抽象化された花鳥風月たち。日本の背景に欧米のデザインが重なり、京都とウィーンを行き来した彼女の生きざまそのものを表現したような作品に仕上がっていると感じた。

 

しかし、一点気になることが。彼女は、生涯を通じて、デザインを自身のキャリアとし、仕事に一生をささげたような印象がある方だが、彼女が生きた時代は、まさしく激動の19~20世紀なのである。オーストリアハンガリー二重帝国に生まれ、1912年にウィーン工芸学校へ入学し、1917年に卒業するのだが、第一次世界大戦は1914年~1918年。オーストリアは敗戦国となり、帝国は崩壊するのである。しかし、彼女の年表から、戦争の暗い影を感じることはない。

1929年には、「ウィーン工芸学校が刊行するカタログには、上野リチの作品が多く掲載された」と解説されていたが、この年は世界大恐慌の年である。(カタログ刊行が大恐慌より前か後かは解説がなかった)

1935年から京都市の染色試験場で勤務し、1939年には陸軍の仕事で満州へ赴任する夫に帯同し、満州で1年間生活する(その時の生活を綴った絵巻も展示されていた)。日本へ帰国後、日本の占領地への布の輸出の仕事に携わりながら、1940年には米国の工芸事情について学ぶため、渡米している、と。

ここで日本の昭和史を超ざっくり振り返ると、

1931年 満州事変

1932年 満州国建国

1937年 日中戦争開戦

1941年 太平洋戦争開戦

となるわけで、日本の激動の時代にまさしく最前線にいたキャリアウーマンということになるわけだ。しかも、外国人で、女性で。日米開戦の前年に、渡米して帰国している。これは、すごいことじゃないですか!?と。スパイだと疑われて特高につかまる、みたいなことは無かったのだろうか。

鬼畜米英の時代、ドイツに併合されたオーストリア人だから、日本の同盟国側の人間ですよと言ったって、見た目が欧米人なら、日本では生きにくかったのではないだろうか。戦中の日本で、どのような思いを抱きながら生活していたのか。そういう、「外国人女性が昭和日本で暮らすこと」の生々しさが、今回の展示からは全く伝わってこなかった。それは、デザインという仕事を展示する上で、彼女の人間らしさを敢えて排除した展示にしたのか、それとも、彼女のような、国際的に活躍できるスキルを持つ人には、先の大戦で被った被害は少なかったからああいった展示になったのか、その点がよく分からなかった。実際、船便しかない時代に、ウィーンと京都を行き来しながら働くって、並大抵のことじゃないと思う。今だって海外出張バリバリするキャリアウーマンってまだまだ少数派だよね。ましてや、昭和時代にそれを実行していたとは、一体どんな方だったのだろう…。

 

ちょっと脱線、戦争ということについて。

私は小さい頃、ナチスユダヤ人迫害のことを学んだ際、素直に思った。「なんでこの人たちは、収容所に入れられる前に、逃げなかったの?」と。でも、今なら分かる。逃げられる人と、逃げれられない人がいる。動かせる資金がいくらでもあって、当面は隣国のホテルで暮らせばいいと思える人がいる。一方で、国外になんて出たこともなく、その場所で生きなければならない人もいる。今回の上野リチさんの展示をみて、彼女は(旦那さん含め)前者の、自らの安全は自らで確保できるくらいのステータスにいた方なのかな、と感じてしまった。19世紀~20世紀という激動の時代を生きながら、上野リチさんのキャリアから戦争のきな臭さをあまり感じないのは、そういう背景もあるのかな?等と丸の内のBRICSQUAREで考え込んでしまった。世界情勢が重くのしかかる今、どんな展示をみても戦争のことを考えてしまう。

 

暗いニュースに自分を晒し続けるのは、メンタル的に良くないので、なるべく外へ出て、美術館にも、時間が許す限り足を運びたいと思う。私は、リチさんのデザインが印刷された一筆箋とトートバッグとクリアファイルを購入して散財し、ストレス発散した。

色々余計なことも書いたけれど、彼女の作品はどれも可愛くて癒されるようなキャラ(犬やハトなど)もいて、とにかくかわいいので、足を運んでみることをお勧めします。

 

ダミアン・ハースト 桜展に行ってきた

先日、ダミアン・ハースト 桜展に行ってきた。六本木の国立新美術館での展示である。六本木では現在、一個前のブログで書いたchim↑pom展も森美術館で開催されており、森美にはネズミの剥製、新美術館には牛のホルマリン漬けが…と不気味なワクワク感を抱いたのも束の間、今回のダミアン・ハースト展は、過去に一世を風靡し、彼の代表的なスタイルである動物のホルマリン漬けの類の作品は一切なく、全て《桜》のシリーズが集まった展示とのことだった。

 

www.nact.jp

 

実際に足を運び、作品を生で見て、まず眼前に迫る画面の大きさに圧倒された。迫りくる桜の吹雪。視界全てが彼の絵に描かれた桜になる体験は、大きな桜の木の下に立っているのと似たような身体的感覚を覚えさせる。全ての作品が桜なのだけれど、枝の描き方によって、しだれ桜っぽいものもあれば、ソメイヨシノっぽいものもある。点描とアクションペインティングの手法で、この雰囲気を描き分けるには、相当な計算がされているんだろうなと想像した。とにかく大きいことに価値がある作品のような気がするので、六本木まで足を運ぶ価値は大アリです。

 

ただ、、何と表現したらいいのか分からない、、物足りなさが、そこはかとなく漂う…ような…。なんでだろう?と考えてみたが、理由は一つ。私はダミアン・ハーストの、あのホルマリン漬けの作品から強烈なインパクトを受けてしまった経験が、過去にあるからである。

あの牛が切断されているやつ、絶対生で見たんだよな…どこだっけ…卒業旅行で行ったドイツ?弾丸で行ったニューヨークのMoMA?どこだろう…どこだどこだどこだ…と思って調べたら、日本に来たことがあったんですね。しかも六本木に。

 

www.mori.art.museum

 

この企画展は2008年開催で、たぶんこの時に見たんだと思う。ちょうど大学2年生で、足繁く六本木に通っていた時期なので。ちなみに、ついてに思い出したのだけど、ダミアン・ハースト森美術館の他の企画展にも作品を出している。

 

www.mori.art.museum

 

こっちは2009年。この企画展も行った記憶がある。のだけれど、どの作品がダミアン・ハーストのかはちょっと思い出せなかった。あの有名なダイヤの髑髏が来ていたっけ?と思ったのだけれど、来ていなかったみたい?(当時はデミアンと表記されていますね。表記ゆれ…何があったデミアン

いずれにせよ、六本木とダミアン・ハーストは関係が深いということがよく分かりました。(思い出しました)さすが、南條先生。

 

話が脱線したので少し戻すと、アートのことが好きで、それなりに色々な展覧会に行ったり、勉強したりしたことがある人ならば、「ダミアン・ハースト=ホルマリン漬け!」のイメージがあると思うんですよ。だから、あの不気味な表現方法、死体に永遠の命を与えそれを切断し内面までさらけ出すことで、生と死のアンビバレントを表現する彼の作風に慣れ親しんでいる人は、この《桜》シリーズを見ても「ふ~ん、きれいだね、、で?」ってなってしまうと思うんです。分かりますかね、この感覚。

例えば、赤カビがびっしり生えたウォッシュチーズが好きな人は、明治のカマンベールチーズを食べても、「別に美味しいけど、うん、普通」っていう感想になりますよね。タンニン効きまくりのピノ・ノワールが好きな人は、ランブルスコを飲んでも、「うん、おいしい、でも薄い」ってなりますよね。カルダモンの風味が全面に押し出される本格マトンカレーが好きな人は、バーモンドカレーを食べても、「うん、美味しいけどもはや別物」って思いますよね、きっと。テキーラをショットで飲んで何もかも飛ばしたい人に、カンパリオレンジ出しても、「う~ん、何か物足りない」てなりますよね。今回のダミアン・ハーストの《桜》シリーズは、まさしくそんな感じなんです。伝わります?…クセの強いものが好きになってしまうと、もう、ノーマルには後戻りできない、みたいな、言いたいのはそういうことです。

生き物のホルマリン漬けという衝撃的な作風を確立し、それで有名になってしまった彼には、そういうイメージがもう付きまとってしまっていると言いましょうか。だから、今更、《桜》という(とりわけ日本人にとって極めて凡庸な)モチーフを彼が取り扱うのは、なかなかハードルが上がってしまっているのだろうなあと感じます。

 

でも、尖った作風から一周回って、原点回帰していくアーティストは過去にも沢山います。私の大好きなマティスとかね。だから、ホルマリン漬けというセンセーショナルな作風で一斉を風靡し、日常をふわふわと生きているとつい忘れてしまう死の恐怖を、強引なやり方で思い出させてくれていた彼が、結局、「死」があるからこそ「生」が輝くんだよね、というメッセージを伝えてくれているんだと解釈すると、この綺麗な桜の絵を見る奥行もだいぶ広がるのではないかな~と思います。

 

もし、ダミアン・ハーストがこれまでどんな作品を作ってきたか、全く知らない人がフラリと新美術館に行き「あら、綺麗な桜の絵。ちょっと見ていこうかしら」なんていうノリでこの展覧会に行ったとしたら、とんでもない誤解をしてしまうんじゃないかと思います(彼のこれまでの作品についての詳細の説明はなし。最初のイントロダクションに少しだけ書いてあったかな?)。何ならニコライ・バーグマンのお友達くらいに思われちゃうんじゃないでしょうか。

 

www.nact.jp

 

もう一度張りますが、このサイトに、ダミアン・ハーストが《桜》の様式を確立するまでの葛藤みたいなインタビューが載っているので、見てみることをお勧めします。私はこれを見ずに行ったので、もう一度、知識を入れた状態で見に行きたいな~

 

chim↑pom展に行ってきた

先日、森美術館で開催されているchim↑pom展 HappySpringに行ってきた。彼らの独特さ、異様さ、そして面白さを再認識すると共に、なんでこれが芸術なんだっけ?という初歩的な疑問に回帰させられた。

大学で美学美術史を学んでいたが、卒業して早十数年…。どうしてchim↑pomは芸術足りえるのか?を学び直すため、私はある本を読むことにした。

 

『美学への招待』 佐々木健一

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この本は、美学とは何ぞや?の初歩の初歩の部分が分かりやすく解説されている入門書である。とはいえ、最低限の世界史、美術史の変遷を知っていることが前提で書かれている。この本に書かれていることを、自分なりにかみ砕き、更に更に簡単に纏めると、以下のようになる。

 

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近代=人間中心の時代

人間中心とは?

→神(教会)中心の世界観から脱し、人間自身が新しい価値を創造すること。

いかに人間が独力で「平和で生きる喜びのある社会」を築くことができるか?という課題と向き合う必要が出てくる。

→新しい価値を創造する天才が各分野から排出される。

科学:ニュートン

文学:シェークスピア

絵画:ラファエロ

音楽:モーツァルト

兵法:ナポレオン

 

天才は藝術の分野に多く存在する。つまり、当時、藝術は科学と同じくらい重要なものとして捉えられていた。

では、その藝術の創造性は何によって測られるのか?

感性。魅力。言葉にならないもの、感ずるよりほかにないもの。

 

つまり、近代に成立した美学とは、藝術感性、この三つの同心円的構造から成っており、この領域の学問のことを言う。

 

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しかし、19世紀以降、この三者の同心円的構造は崩れる。それは、美しくない藝術が生まれ、それは感性ではなく知性で理解/解釈される必要があるからだ。

マルセル・デュシャンの《泉》は、まさにそれで、一般的に私たちは、小便器を見て「美しい」とは感じない。感性を以ってすれば《泉》は藝術足りえないが、知性がそうさせる。知性で解釈をすることで、《泉》は藝術作品なのである。

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chim↑pomとは、この「感性で美しいと感じるものとしてではない藝術」「知性で解釈する藝術」で間違いないのだろう、というのが私の解釈である。

彼らの作品は、「都市と公共性」「パンデミック」「戦争」「原発」「災害と復興」などのテーマを通じて、人間が社会生活を営む上での矛盾や理不尽を告発するようなものが多い。例えば、渋谷で捕まえたネズミを剥製にし、毛に着色して「ピカチュウ」を模すという作品は、百歩譲っても「わぁ~かわいい」「なんて美しいんだろう」とは思えない作品だ。むしろ悪趣味だと嫌悪感すら抱く人もいるかもしれない。(今回の展示では、ピカチュウはいなくて(私が見落としてなければ)、しかし金色の毛のネズミの剥製はいた)都市では排除される対象として取り扱われるネズミは、一方で人気アニメの主役キャラであり、その二つを剥製という形で融合することで、我々の視点の危うさ、パースペクティブの脆さを露呈させる装置として機能している。chim↑pomの作品には、そういう我々が内面に持っている狡さや、「こんなもんでしょ」となあなあにして見えないことにしている問題、気付いていない矛盾を、表側に引きずり出してくる機能があるのだ。

問題は、彼らのやり方が、いつもセンセーショナルで物議を醸すこと。原爆ドームの上空に、飛行機雲で「ピカ」と描くなんて、あまりにも悪趣味だし、平和を願い広島に送られてくる折り鶴を紙に戻してまた折るなど「何のために?」を思わざるを得ない作品もある。気分を害する人もいる。でも、そうして話題に上がることで、人々の関心が集まり、その問題に関して議論が深まるムーブメントまでを含めて、彼らの作品なのだろう。今回の展示では、そんな彼らのこれまでの軌跡を、時代を追って俯瞰的に鑑賞することが出来て、とてもよかった。

一番嬉しかったのは、渋谷駅内にある岡本太郎《明日への神話》へ勝手に付け足しちゃた作品、《Level7 feat.『明日への神話』》を生で見ることが出来たことである。

2011年4月、当時の私は、大学の美術史学科を卒業して、美術史とはまるで関係のない貿易の会社に入社して1年目だった。震災で卒業式はなくなり、新入社員研修は節電のため暗い会議室で行われ、震災の傷跡が深く残る中での社会人スタートだった。美術のことを仕事にしなかった自分への不安も、社会人デビューの不安も、震災後の原発事故の不安も、とにかく不安だらけの春だったのである。そんな中、この《Level7 feat.『明日への神話』》のことをtwitterで知った。私の沢山の不安を蹴散らしてくれるような、社会全体への小気味よい壮大ないたずら。当時の私にとって、非常にスカッとするものだった。世の中暗い感じだけど、あんな風にふざけていいんだな、と。そう思ったら、肩の荷が少し軽くなった。そんな作品だったからこそ、何としても生で見たかった!!と強く思っていたのである。

 

というわけで、非常に難しいchim↑pom展、とても面白かったので(知的に)、ぜひ足を運んでみてください~!

 

www.mori.art.museum

 

Bunkamura ザ・ミュージアム ミロ展に行ってきた

先日、Bunkamuraザ・ミュージアムのミロ展に行ってきた。渋谷のBunkamuraでやっている企画展である。

 

www.bunkamura.co.jp

 

まずミロ展云々の前に、Bunkamuraザ・ミュージアムについて。この美術館は、2023年4月に東急百貨店本店の閉店に伴い、長期休業に入る予定の美術館である。

www.wwdjapan.com

 

跡地には、東急グループとLVMHグループの共同で新たな複合施設を建設予定で、そこにBunkamuraも組み込まれる(?)予定とのこと。余命約1年の美術館という訳である。哀しいかな、あと一年だからということで、美術館としての機能もスペックもアップデートしないまま、あと一年なんとかやり過ごそうという雰囲気が漂う。よく言えばクラシカルな雰囲気ともいえる。(これは好みによる)

 

第一に、展示作品の撮影禁止(模写すら禁止!)。たぶん、日本では、昔(約10年前くらい?)はこれがスタンダードだった。私が大学生のころ、初めて欧米の美術館へ足を運んで、撮影OKな美術館が多いことにとても驚いた。欧米において、多くの美術館は、商業的な意味合いよりも文化装置としての機能が重要で、実物を生で見ながらそれを写真に収めることは、見る人の学ぶ権利であり、あまり禁止されていないような雰囲気だった。もちろん、全ての美術館でそうではなかったけれど。

日本でも、近年は写真撮影OKなところが多くなってきている。それは、教育的配慮というよりも、SNSの影響力が大きいと思う。「○○展に行ってきました」とインフルエンサーがインスタグラムに作品をアップすることが、美術館や作家にとって、デメリットよりもメリットが上回ると判断されるようになったということなのだろう(とりわけ現代アートの美術館ではこの傾向が強い)。美術館がより人々の身近な存在になるために、これは喜ばしい傾向だと個人的には思う。著作権とか、色々難しい問題はあるのだろうけれど。

そんな時代の流れに逆行するかのような、Bunkamuraの写真撮影禁止の措置。いくら来年閉館するからって、写真撮影OKくらいはすぐできるんじゃないのかな~?(いぶかしげな目線)と思ってしまった。これは、Bunkamuraの来場者が、ご年配の方が多い事とも関係していると思う。先日行ったときの客層も、初老の裕福そうな方々が多い印象だった。

 

第二に、音声ガイドについて。首から大きいリモコンのような機械をぶら下げて、作品の前に行き対応する番号を押して説明をきくスタイルで、しかもその大きいリモコンのような機械を借りるのに600円かかるようになっていた(久しぶりに見た)。そもそも一般料金は1800円(高め)。機械を借りたら合わせて2400円になる。まあ、Bukamuraに来る層には関係ない額なんだろうな~と思いながら、アプリをダウンロードすれば自分の携帯で無料で解説をきけるARTIZON美術館の便利さを思わずにはいられなかった(ARTIZON美術館はリニューアルの際、本当にこのへんの、お客さんの見やすさにこだわった投資をしてくれたと思う。東急も見習ってほしい。まじで)。

このBunkamuraの残念さは何と表現したらいいのか。今の彼氏(Bunkamura)とごはんに行って、ケチで美味しくないお店を予約してあって、それに失望し、元彼(ARTIZON)は良かったなあ、色々気遣いがあって素敵だったなあ、と後悔する感じと言うのだろうか。(いや、絶対違う)

Bunkamuraを擁護するとすれば、あと1年のために新しいアプリと音声ガイドの開発は確かに無駄な投資だよね。ここはいつか再開する際にぜひとも力を入れて欲しいポイントだと思います。よろしく頼みます、LVMH!!!!

 

次に、ミロ展について。

率直な感想としては、良かった。ミロの軌跡や作風の変遷がよく分かったし、日本文化と関連付けての展示は、見る人にとってとても分かりやすかった。このコロナ禍で、電車にちょいと乗り、千円ちょっとでミロの作品の実物をある程度纏まった量を一気に鑑賞できるという価値は、とても高いと思う。特に、初期の作品群は、マティスルノワールセザンヌ?と思うような雰囲気のものもあり、やはり、真似ることから人は学び、各々のスタイルを確立していくんだなあということを改めて感じることができた。ただ、コロナ禍でなくて、気軽に海外旅行に行けていたら、わざわざ渋谷の片隅にミロを見に行かないかなあ、という印象も。いわゆる、「わぁ、ミロっぽーい!」という雰囲気の作品は、3-4作品しかない感じ(あくまでも個人的な感想です)。

 

私はこれまで、バルセロナのミロ美術館やニューヨークのMoMAなど、沢山の場所で色んなミロの作品を見てきてた。良くも悪くも目が肥えてしまっている。今回の感動の少なさは、そんな私の個人的背景が影響していると思う。

ただ一つ思ったのは、日本を夢見てという副題の白々しさ、、、、印象派以降の西欧アーティストがJaponismに影響を受けたのは自明の事実だけれど、そこには尊敬のまなざしの他に、西欧文明の対義となる未開(primitive)のアジアとしての視点もあったように思う。展示物に、ミロの所蔵として埴輪の写真集があったが、埴輪って日本文化なのだろうか?え、古墳時代までさかのぼって尊敬のまなざしを持ってた?など疑問が湧いた。もちろん、ミロは日本に2回も来てくれているし、色々影響を受けたのは間違いないのだろうけれど、「日本を夢見て」という副題に単純化していいのかな~と。まあ、この「西欧にも影響を及ぼす日本文化すばらしい!」の雰囲気って、Bukamuraの客層の方々は大好きなんだろうけどネ。そういう意味ではマーケティングに成功してると思います。

休館までの残りの展示は、行けたら行きたいな~と思います。東急百貨店本店に入っている丸善ジュンク堂は大好きだし、通りを挟んだ目の前にあるVIRONも大好きだし、横にあるお蕎麦屋さんの嵯峨谷も美味しいし、ちょっと歩くとSPBSもあるし。あのエリアの散策は大好きなんだよね~。

東急百貨店の閉館で、様変わりするであろう渋谷松濤のエリア…。今ある雰囲気を、あと一年間存分に満喫したいと思います。

 

まあ、それよりも、本当に行きたいのは、バルセロナの小高い丘に佇むミロ美術館だね。。あ~海外行きたい!

 

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ドライブマイカーを観てきた

先日、映画のドライブマイカーを観てきた。恥ずかしながら、カンヌ国際映画祭で色々賞を取って日本で再度話題になってからの鑑賞となった。題材となった村上春樹の、『女のいない男たち』は、家の本棚にきちんとあって既に読んでいたし、一応村上春樹の小説はほぼ全て読んでいて、わりとファンだと思っている身としては、この映画の存在に、話題になるまで気付かなかったというのは、ちょっと後ろめたいというか、こんなレベルじゃ自分のことを村上主義者とは言えないな、わりとファンすら怪しい、ちょっと好き、くらいしか言えないかも、と自戒した。こういう国際的な賞を取る前から、いい映画に気付けるくらいのアンテナを張って生きていきたいな~などと思う。(忙しくてなかなかそこまで気が回らないんだよね、、

 

映画については、色々思ったのだけれど、大きく分けると三つ。

村上春樹の『ドライブマイカー』が題材だけど、もはや別物

主人公の名前や職業など、設定を拝借し、全く別の作品に仕上げているという印象だった。村上春樹の主人公は、いつも何か大切なものや人を「喪失」していて、それを探す旅に出る過程で、新しい女性と出会い、その人と関係を結んだり離れたりし、そういう中で「喪失」したものを見つけたり、失ったことを受け入れて「再生」していくような話が、どの作品にも主題としてあると思うのだけれど、この『ドライブマイカー』も、まさしくその主題を引き受けながら、原作とは全く新しいドラマになっていると感じた。

 

2インターナショナルな出演者の効果

劇中劇では、演者の国籍がバラバラで(主にアジア)、彼らが言語を超えて作品を作り上げていく過程が丁寧に描かれていた。どうしてこんな設定なんだろう?と思ったが、これは二つの意図があるのかな?と感じた。一つ目、ソーニャ役の韓国手話で演劇に参加する女性の存在。彼女は「私にとって自分の言葉が通じないことは当たり前のこと」と話す。自分の言葉が通じない前提で生活するということは、英語すら通じない国に旅行したことがある人ならば、少しだけ想像できるのではないだろうか。自身の無力感。そういう言葉が担う役割を際立たせるため、多言語での劇を取り上げ、そこに「手話」を扱う彼女を潜り込ませたのではないだろうかと思った。

彼女が話すシーンでは、劇場が静寂に包まれる。この静寂は、常に耳にイヤホンを入れ、慌ただしく様々な情報をインプットし続ける現代社会を生きる我々に、その価値を思い出させてくれる。この静寂を体感するためにも、この映画は絶対に映画館で観るべきだと思う。

二つ目、これは商業的な意味合いということなのだが、ああいった芸術的な作風で、国際的な賞レースを狙いたい場合、もう純ドメスティックではその候補にすらなれない、ということがあるんじゃないのかなということだ。万引き家族やパラサイトは、芸術的というよりは、その内容が、社会的な格差を表現するという点において意義深く、賞獲得となったが、『ドライブマイカー』は、自己の喪失と再生という、極めて内省的な、作り方によっては、見せ場や派手なシーンを作りにくいテーマだと思う。だからこそ、インターナショナルな舞台設定を用意し、いろんな国々で鑑賞してもらいやすい映画にしたかったのかな、と。

 

3印象的なシーンや俳優さんについていくつか

・車の中で、亡くなった奥さんの声が入ったテープを聴き続ける様は、見ていて痛々しく、胸が締め付けられるような思いだった。もうやめなよ、忘れなよ、、と言ってやりたくなるほどに。そんな主人公が、運転手の女の子と関わる中で、彼女の痛みを知り、分かち合う雪のシーンは、長いせりふ回しのシーンで、そこが不自然にならない二人の演技力には脱帽した。背景の景色の美しさも相まって、二人の演技に説得力を持たせていた。

霧島れいかさんは、なぜこんなに美しいのか?考えさせられた。ノルウェイの森にも出演されていて、もう村上春樹のミューズになりつつあるのかな、と。この映画の製作や、配役に、村上春樹が口を出しているとは思えないような気がするのだけれど、じゃあ一体だれに、霧島さんにしましょう、と決定権があるのか、すごく気になってしまった。私自身は、石田ゆり子さんみたいなかわいい系より、ああいう妖艶な雰囲気で年を重ねていきたいのだけれど、一体どうしたらああなれるんだろう。だれか教えてください。(元が違うはさておき

岡田将生さんについて。原作では、高槻は「長身で顔立ちの良い、いわゆる二枚目の俳優だった。…特に演技が上手いわけではない。存在に味があるというのでもない」と表されており、要は「ルックスだけ、俳優としてはイマイチ」と表現(酷評?)されているわけである。その役に岡田将生岡田将生さんは、演技だって上手いと思うけれど、やはりお顔の美しさは、同年代の俳優さんの中でもピカイチだと思う。そんな彼が、「演技が上手いわけではない、存在に味があるわけではない」演技をしているのが、俳優魂がすごいというか、やっぱり演技が上手くない演技を出来るなんて演技上手いじゃん!と映画館で一人唸りたくなってしまった。ついつい、自分の写真を撮る一般人に殴りかかりにいっちゃう痛々しさとか、器の小ささを演じるって、威風堂々とした戦国武将を演じたりするよりムズイんじゃないのかなあと思う。

・映画の終盤、ソーニャと叔父さんの掛け合いのシーン。ソーニャが後ろから腕を回し、叔父さんの目の前で手話を繰り広げる場面は、音がないのに圧巻。いや、静寂だからこその圧巻。「生きていきましょうね。人のために働きましょうね。そして、やがてその時が来たら、素直に死んでいきましょうね。あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなにつらい一生を送ってきたか、それを残らず申し上げましょうね。すると神様は、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ、…まあ嬉しいと思わず声を上げるのよ。そして、現世での不幸せを、懐かしくほほえましく思い、ほっと息がつけるんだわ」

この長回しのセリフを、手話で静寂中で見ていると、音があることに慣れている私たちは、一種の不安を感じる。その不安が、さらに言葉を身体の奥底に染み込ませる作用が働くような感覚がある。ワーニャ叔父さんが書かれたのは、ロマノフ王朝が崩壊する寸前のロシア。不幸せのまま、奴隷のように死んでいく人が多かった時代のセリフは、

現代を生きる私たちにも、胸に突き刺さる何かがある。普遍的に人間の孤独や不安は消えない。しかし、演じることで、癒える何かがあるのかもと思わせてくれる。実際に、このワーニャ叔父さんのセリフと、家福の喪失はリンクする部分があり、家福自身が、ワーニャ叔父さんを演じることで、救われた部分があるのだろうと、希望を感じることが出来るラストになっていた。

・最後の最後の韓国のシーン

みさきを演じる三浦透子はラストシーンで韓国にいる。彼女はマスクをしていて「コロナ」である現在との連続性がさりげなく表現されている。ただの物語が、私たちの「いま」に、綺麗に接続されるのだ。頬の傷は消え、顔がよく見えるようになっていて、心なしか明るい表情で生活を営んでいる様子が描かれる。彼女もまた、母を「喪失」した痛みを抱えて生きていたが「再生」の兆しをみせて物語は終わる。村上春樹の主題を、綺麗に回収する形で物語は幕を閉じるのだ。

 

もう一回映画館で観たいのだけれど、上映時間が3時間程度あり、なかなか時間を捻出できないな~などと思うのでした。