nina1988の日記

東京に暮らすワーママが日々のことを綴る日記。主に美術館に行ったことなどの感想を綴ります。

ダミアン・ハースト 桜展に行ってきた

先日、ダミアン・ハースト 桜展に行ってきた。六本木の国立新美術館での展示である。六本木では現在、一個前のブログで書いたchim↑pom展も森美術館で開催されており、森美にはネズミの剥製、新美術館には牛のホルマリン漬けが…と不気味なワクワク感を抱いたのも束の間、今回のダミアン・ハースト展は、過去に一世を風靡し、彼の代表的なスタイルである動物のホルマリン漬けの類の作品は一切なく、全て《桜》のシリーズが集まった展示とのことだった。

 

www.nact.jp

 

実際に足を運び、作品を生で見て、まず眼前に迫る画面の大きさに圧倒された。迫りくる桜の吹雪。視界全てが彼の絵に描かれた桜になる体験は、大きな桜の木の下に立っているのと似たような身体的感覚を覚えさせる。全ての作品が桜なのだけれど、枝の描き方によって、しだれ桜っぽいものもあれば、ソメイヨシノっぽいものもある。点描とアクションペインティングの手法で、この雰囲気を描き分けるには、相当な計算がされているんだろうなと想像した。とにかく大きいことに価値がある作品のような気がするので、六本木まで足を運ぶ価値は大アリです。

 

ただ、、何と表現したらいいのか分からない、、物足りなさが、そこはかとなく漂う…ような…。なんでだろう?と考えてみたが、理由は一つ。私はダミアン・ハーストの、あのホルマリン漬けの作品から強烈なインパクトを受けてしまった経験が、過去にあるからである。

あの牛が切断されているやつ、絶対生で見たんだよな…どこだっけ…卒業旅行で行ったドイツ?弾丸で行ったニューヨークのMoMA?どこだろう…どこだどこだどこだ…と思って調べたら、日本に来たことがあったんですね。しかも六本木に。

 

www.mori.art.museum

 

この企画展は2008年開催で、たぶんこの時に見たんだと思う。ちょうど大学2年生で、足繁く六本木に通っていた時期なので。ちなみに、ついてに思い出したのだけど、ダミアン・ハースト森美術館の他の企画展にも作品を出している。

 

www.mori.art.museum

 

こっちは2009年。この企画展も行った記憶がある。のだけれど、どの作品がダミアン・ハーストのかはちょっと思い出せなかった。あの有名なダイヤの髑髏が来ていたっけ?と思ったのだけれど、来ていなかったみたい?(当時はデミアンと表記されていますね。表記ゆれ…何があったデミアン

いずれにせよ、六本木とダミアン・ハーストは関係が深いということがよく分かりました。(思い出しました)さすが、南條先生。

 

話が脱線したので少し戻すと、アートのことが好きで、それなりに色々な展覧会に行ったり、勉強したりしたことがある人ならば、「ダミアン・ハースト=ホルマリン漬け!」のイメージがあると思うんですよ。だから、あの不気味な表現方法、死体に永遠の命を与えそれを切断し内面までさらけ出すことで、生と死のアンビバレントを表現する彼の作風に慣れ親しんでいる人は、この《桜》シリーズを見ても「ふ~ん、きれいだね、、で?」ってなってしまうと思うんです。分かりますかね、この感覚。

例えば、赤カビがびっしり生えたウォッシュチーズが好きな人は、明治のカマンベールチーズを食べても、「別に美味しいけど、うん、普通」っていう感想になりますよね。タンニン効きまくりのピノ・ノワールが好きな人は、ランブルスコを飲んでも、「うん、おいしい、でも薄い」ってなりますよね。カルダモンの風味が全面に押し出される本格マトンカレーが好きな人は、バーモンドカレーを食べても、「うん、美味しいけどもはや別物」って思いますよね、きっと。テキーラをショットで飲んで何もかも飛ばしたい人に、カンパリオレンジ出しても、「う~ん、何か物足りない」てなりますよね。今回のダミアン・ハーストの《桜》シリーズは、まさしくそんな感じなんです。伝わります?…クセの強いものが好きになってしまうと、もう、ノーマルには後戻りできない、みたいな、言いたいのはそういうことです。

生き物のホルマリン漬けという衝撃的な作風を確立し、それで有名になってしまった彼には、そういうイメージがもう付きまとってしまっていると言いましょうか。だから、今更、《桜》という(とりわけ日本人にとって極めて凡庸な)モチーフを彼が取り扱うのは、なかなかハードルが上がってしまっているのだろうなあと感じます。

 

でも、尖った作風から一周回って、原点回帰していくアーティストは過去にも沢山います。私の大好きなマティスとかね。だから、ホルマリン漬けというセンセーショナルな作風で一斉を風靡し、日常をふわふわと生きているとつい忘れてしまう死の恐怖を、強引なやり方で思い出させてくれていた彼が、結局、「死」があるからこそ「生」が輝くんだよね、というメッセージを伝えてくれているんだと解釈すると、この綺麗な桜の絵を見る奥行もだいぶ広がるのではないかな~と思います。

 

もし、ダミアン・ハーストがこれまでどんな作品を作ってきたか、全く知らない人がフラリと新美術館に行き「あら、綺麗な桜の絵。ちょっと見ていこうかしら」なんていうノリでこの展覧会に行ったとしたら、とんでもない誤解をしてしまうんじゃないかと思います(彼のこれまでの作品についての詳細の説明はなし。最初のイントロダクションに少しだけ書いてあったかな?)。何ならニコライ・バーグマンのお友達くらいに思われちゃうんじゃないでしょうか。

 

www.nact.jp

 

もう一度張りますが、このサイトに、ダミアン・ハーストが《桜》の様式を確立するまでの葛藤みたいなインタビューが載っているので、見てみることをお勧めします。私はこれを見ずに行ったので、もう一度、知識を入れた状態で見に行きたいな~