nina1988の日記

東京に暮らすワーママが日々のことを綴る日記。主に美術館に行ったことなどの感想を綴ります。

上野リチ展に行ってきた

先日、上野リチ展に行ってきた。三菱一号館美術館の企画展で、私はこの美術館が大大大好きなので、勇んで足を運んできた。

 

 

mimt.jp

 

上野リチ展について書く前に、なぜ三菱一号館美術館が好きか。それはもう、理由は一つ(一つじゃないけど)。

 

それは、

おしゃれだから!!!!!(どーん)

 

丸の内という立地、赤煉瓦の商業施設BRICSQUAREの一角に佇む美術館で、日本の金融業界を背負って働く人々の憩いの場…。まず背景がかっこいいし、所蔵作品もおしゃれ。ロートレック、ルドンなど、この赤煉瓦の建物のモチーフとなった「三菱一号館」が建設された1894年ごろに活躍していた作家の作品を多く収蔵する。企画展も、19世紀後半から20世紀に活躍した作家やデザイナーのものが多いのが特徴だ。

1894年といえば、日清戦争の前年。日本の富国強兵を背負った三菱の権力がどんどん大きくなっていった時代なのだろう。そんな歴史も感じられる美術館だ。(あくまで建物は復元だが)

常設展で必ずと言っていいほど見られる、ルドンの《グラン・ブーケ》は必見である。

 

さて、上野リチ展に話を戻す。

まず、恥ずかしながら、上野リチさんという方を、私はこの展覧会に行くまで存じ上げげなかった。自分の無知が恥ずかしい…。そして、名前の印象から、勝手にレオナール藤田的な人だと思い込んでいた(日本人で欧州に渡り国籍を取得した、もしくは日本人とのハーフ、みたいな)。そしたら、なんと竹鶴リタさん的な方だった(外国の女性が日本人男性と結婚して、苗字だけ日本風になった)。竹鶴リタさんとは、朝ドラのマッサンのモデルになった方。まだまだ、世の中は知らないことだらけだ…

 

ウィーンの工芸学校出身で、日本人の建築家と出会い、結婚して、京都とウィーンを行き来しながら、布や日用品のデザインをされていたそうで、そのデザインが、何とも可愛らしいものばかり。ウィリアム・モリスっぽくもあり、リバティっぽくもあり、マリメッコっぽくもあり、でもどれとも違う。実際に、唯一無二の独自性を追求していたそうで、その作風を「ファンタジー」と呼んでいたと。本当に、約100年前のデザイン?と思うような斬新さと愛らしさと自然美が融合した作品を沢山見ることができて、大大大満足だった。

写真撮影NGだったので、写真はないが、《花鳥図屏風》という作品が、個人的に一番好きだった。金箔の屏風絵なのだが、そこに描かれているのは日本画風の絵柄ではなく、幾何学模様の抽象化された花鳥風月たち。日本の背景に欧米のデザインが重なり、京都とウィーンを行き来した彼女の生きざまそのものを表現したような作品に仕上がっていると感じた。

 

しかし、一点気になることが。彼女は、生涯を通じて、デザインを自身のキャリアとし、仕事に一生をささげたような印象がある方だが、彼女が生きた時代は、まさしく激動の19~20世紀なのである。オーストリアハンガリー二重帝国に生まれ、1912年にウィーン工芸学校へ入学し、1917年に卒業するのだが、第一次世界大戦は1914年~1918年。オーストリアは敗戦国となり、帝国は崩壊するのである。しかし、彼女の年表から、戦争の暗い影を感じることはない。

1929年には、「ウィーン工芸学校が刊行するカタログには、上野リチの作品が多く掲載された」と解説されていたが、この年は世界大恐慌の年である。(カタログ刊行が大恐慌より前か後かは解説がなかった)

1935年から京都市の染色試験場で勤務し、1939年には陸軍の仕事で満州へ赴任する夫に帯同し、満州で1年間生活する(その時の生活を綴った絵巻も展示されていた)。日本へ帰国後、日本の占領地への布の輸出の仕事に携わりながら、1940年には米国の工芸事情について学ぶため、渡米している、と。

ここで日本の昭和史を超ざっくり振り返ると、

1931年 満州事変

1932年 満州国建国

1937年 日中戦争開戦

1941年 太平洋戦争開戦

となるわけで、日本の激動の時代にまさしく最前線にいたキャリアウーマンということになるわけだ。しかも、外国人で、女性で。日米開戦の前年に、渡米して帰国している。これは、すごいことじゃないですか!?と。スパイだと疑われて特高につかまる、みたいなことは無かったのだろうか。

鬼畜米英の時代、ドイツに併合されたオーストリア人だから、日本の同盟国側の人間ですよと言ったって、見た目が欧米人なら、日本では生きにくかったのではないだろうか。戦中の日本で、どのような思いを抱きながら生活していたのか。そういう、「外国人女性が昭和日本で暮らすこと」の生々しさが、今回の展示からは全く伝わってこなかった。それは、デザインという仕事を展示する上で、彼女の人間らしさを敢えて排除した展示にしたのか、それとも、彼女のような、国際的に活躍できるスキルを持つ人には、先の大戦で被った被害は少なかったからああいった展示になったのか、その点がよく分からなかった。実際、船便しかない時代に、ウィーンと京都を行き来しながら働くって、並大抵のことじゃないと思う。今だって海外出張バリバリするキャリアウーマンってまだまだ少数派だよね。ましてや、昭和時代にそれを実行していたとは、一体どんな方だったのだろう…。

 

ちょっと脱線、戦争ということについて。

私は小さい頃、ナチスユダヤ人迫害のことを学んだ際、素直に思った。「なんでこの人たちは、収容所に入れられる前に、逃げなかったの?」と。でも、今なら分かる。逃げられる人と、逃げれられない人がいる。動かせる資金がいくらでもあって、当面は隣国のホテルで暮らせばいいと思える人がいる。一方で、国外になんて出たこともなく、その場所で生きなければならない人もいる。今回の上野リチさんの展示をみて、彼女は(旦那さん含め)前者の、自らの安全は自らで確保できるくらいのステータスにいた方なのかな、と感じてしまった。19世紀~20世紀という激動の時代を生きながら、上野リチさんのキャリアから戦争のきな臭さをあまり感じないのは、そういう背景もあるのかな?等と丸の内のBRICSQUAREで考え込んでしまった。世界情勢が重くのしかかる今、どんな展示をみても戦争のことを考えてしまう。

 

暗いニュースに自分を晒し続けるのは、メンタル的に良くないので、なるべく外へ出て、美術館にも、時間が許す限り足を運びたいと思う。私は、リチさんのデザインが印刷された一筆箋とトートバッグとクリアファイルを購入して散財し、ストレス発散した。

色々余計なことも書いたけれど、彼女の作品はどれも可愛くて癒されるようなキャラ(犬やハトなど)もいて、とにかくかわいいので、足を運んでみることをお勧めします。